2019年はハワイ観測所で試験観測を始めて20周年にあたる。貴重書展示では、第7回 (1993) にハワイ観測所の望遠鏡の愛称として公募で選ばれたすばるを取り上げた。
ルイ=ベンジャミン・フランクール (1773–1849) はフランスの数学者で、数学の他、植物、測量などの著述がある。本書は初版が1812年の天文学の入門書である。
巻末には折り畳んだ図版が収められている。国立天文台所蔵の本には、星図のページに鉛筆書きで1882年の大彗星のスケッチが残っていた。この彗星は1882年9月初旬に発見され、昼間でも肉眼で見られるほど増光し、核は何度か分裂しながら太陽の近くを通過して翌年2月頃まで肉眼で見られたと記録されている。
馬場信武 (生年不詳-1715) は京都の人。易学、天文の著述が多い。この本の三巻では二十八宿を角宿から東北西南の順に取り上げ、その周辺の星座とともに説明している。その内容は古くからの中国の天文書のように占いの部分も多く、星の位置もかなり大雑把である。
カミーユ・フラマリオン(1842-1925)はフランスの天文学者で、フランス天文学会の創設に関わり、多くの著述がある。本書は初版が1879年に出された860ページに及ぶ天文学の入門書である。
西洋ではギリシャ神話に基づいた大きな星座が多く、中国では天の北極を天帝として、それを取り巻く宮廷の官職や城内の事物が星座の題材になっている。単独の星や暗い星を含むものもあり、それぞれは小さく数も多い。
西洋では黄道十二宮が太陽の通り道を30度ずつ等分して天体の位置を表すのに使われてきた。中国では天の北極と赤道を基準にし、月が一日に一宿を移動するとした二十八宿が天体の位置の目安とされていた。二十八宿の領域は均等ではなく、1度に満たない觜宿から33度の井宿まで様々である。
1882年の大彗星は日本でも見られ、これを取り上げた錦絵が残っている。当時の錦絵はカラーの絵入り新聞のような役割があった。明治15年の和装と洋装、帆掛船と蒸気船が混在する当時の様子が見て取れる。
当九月下旬よりして、東の方にあらわれたる彗星は、十七度にわたり高度は八度三十一分、方向は北より東へ百五度五十九分にて実に近代未曾有 の大星なり。そもそも彗星は行星の一種にて其数六百有余あり。其形ほうきに似たれども、外の諸星に異なる事なく、只軌道をめぐるにきまりなきが故に不意にあらわるる事あれ共、吉凶の前兆、豊年の星などとは実に無学の僻説 にてさらに怪しむべき事に非されば、聊 か愚人 の迷 を解かんと爰 に図す(左上の文)
これらも同じく1882年の大彗星を取り上げた錦絵である (第36回展示)。
参考文献:
『暦と時の事典』 内田正男著 雄山閣
『Cometography : a catalog of comets. Volume 2 1800-1899』 Gary W.Kronk 著 Cambridge University Press
『星の手帖 VOL.58 (1992年秋)』 河出書房新社 より、「古天文学こぼれ話 XI:馬場信武『初学天文指南』を読む」 斉藤国治