平成21年(2009)末、初めて日本独自の暦を作った渋川春海 (1639-1715 保井、安井、また源とも。碁方としては安井算哲) を主人公とした冲方丁著の小説「天地明察」が刊行され、2010年本屋大賞を受賞した。
渋川春海が新しい暦を作ることになる時期は、幕府の統治が安定し、広く算術への関心が高まった時代であった。『
ここにあげる『算法闕疑抄』も『塵劫記』の後に多く出された算術書の一つで、数や位の説明、九九のかけ算、そろばんなど入門編から始まって、『塵劫記』の遺題への解答や新たな遺題など高度なものも掲載され、のちに注釈を付けた『
国立天文台には初版本といわれる2冊の『算法闕疑抄』があり、一方の巻頭には丸画像に示したような後世の落書きがみられる。参考として、落書きがない方にある同じページの挿絵も掲載した。
本文の書き下しを以下に記す。
ぬす人 橋の下にて 布をわくるに 人ことに 八端(反)づつ わくれは 五端たらず 七端宛 割れは 十端あまる と云いて ぬす人 何人 ぬのを何反答云 ぬす人 拾五人 布数 百拾五端法は 右同意なり 布八端とれは 五端余る 六端ずつとれば 拾参端あまる 人数何程 ぬの数何ほど と問う答云 人数四人 布数三拾七端
関孝和が授時暦の数理をまとめた『
図中に名前の見える郭守敬 (1231-1316) は、元王朝で王恂、許衡とともに授時暦を作るのに功績があった。機器製作にすぐれ、新しい機器を作って観測精度を上げたと言われている。
『天文瓊統』は巻一に天地日月、巻二に五星 (惑星)、巻三は
ここでは巻一から渾天儀、巻三から紫微垣と太微垣の図を掲載した。紫微垣は天の北極を中心として、ほぼ北斗七星を含む円で、天帝の居場所とそれを囲む城壁を示す。太微垣は主にしし座とおとめ座を含み、帝座とそれを中心とした庭園を囲む壁を表している。天市垣はヘルクレス座のα星を帝座とし、これを中心として城壁に囲まれた市場とみている。
『天文分野之図』は、中国で国家や王の運命を占う一種の星占いに用いられた分野図をもとに、渋川春海が中国の地名を日本の地名に置き換えて作った星図である。わが国の暦は卜占や天の変異監視を任とする朝廷の陰陽寮で作られてきたこともあり、占いと密接に関わり、分かちがたいものとなっていた。
天体の位置は二十八宿を用いた赤道座標で表わした。東西南北それぞれ不等分な七宿があり、全部で二十八宿になる。今日われわれが見慣れている西洋の星座に比べるとそれぞれが小さく、つなぎ方も異なっている。例えば西方七宿に含まれる
参考文献:
『和算の歴史』 平山諦著 筑摩書房
『日本暦学史』 佐藤政次編著 駿河台出版社
『日本の暦』 渡邊敏夫著 雄山閣
『授時暦の道』 山田慶児著 みすず書房