暦Wiki
時と場所をわきまえる†
- 地球上の場所は緯度と経度で表すことができます。
- 緯度は北極星の高度からおおよそ知ることができます。
- ただし、北極星は厳密に地球の自転軸の延長上にあるわけではなく、わずかながら周回運動をしています。
- また、歳差によってたまたま現在天の北極近くにいるにすぎません。
- 一方、経度を決めるのは困難です。
経度を決める†
- 月の位置は時々刻々と変化します。
- 月の満ち欠けを精密に観測することで、月が太陽からどれだけの角度離れているかがわかります。
- より精密には背景の星々に対する位置を観測します。月はこれらの星々に対して、1時間におよそ月1個分だけずれていきます。
- 月の位置を正確に予報できれば、これらの観測との比較により時刻、そして経度を決められます。
- これが1675年のグリニジ王立天文台の設立と英国暦の刊行(1767年版)につながりました。
- 日食・月食などの天文現象の予報と実測値を比較する。
- 寛政暦を作った高橋至時のころには天文現象の予測精度が非常に高くなり、それと実際の観測値を比べることで経度を推定できるようになりました。
- 伊能忠敬の日本地図作成においても使われています。
- 問題は日食や月食はそれほど頻繁には起こらず、必ずしも晴れると限らないことです。
- 2地点で、ある天体が子午線を通過した時刻を調べると、経度差を求めることができます。
- 経度λAの地点では時刻tAに子午線通過、経度λBの地点では時刻tBに子午線通過したとすると、
- その間の自転量=恒星時の差は1.0027379 (tB−tA)で、これが経度の差λA−λBに等しくなります。
- ただし、時計が正確でないと位置も正確に決まりません。
- これが持ち運びができ、船上でも安定して動作する正確な時計=クロノメーターの開発につながります。
- 近代では通信で時計の同期を確保できるようになりました。
- 明治のころは電信電信また電信で各地の時計をつないでいました。
- 大正時代は報時信号を直接受信=三鷹国際報時所の設立につながります。
- この時代に使われていたのが連合子午儀です。
- 一等三角点「三鷹村」は天文測量と結び付けるべく設置されたものですが、実際に観測した結果、違いはわずかだったので経度の改正にはいたりませんでした。
- 現代では全地球測位システム (GPS) によって手軽に経緯度を知ることができます。
関連ページ†
Last-modified: 2020-05-27 (水) 17:43:40