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二十四節気の成立と変遷†
- 二十四節気は一斉ではなく段階的に成立しており、歴史的にはさまざまな呼び名がありました。
- 春秋時代には二至二分や四立に相当する概念はあったようです。
- 『春秋左氏伝』僖公五年の記事:日南至は冬至、分至啓閉の分は春分・秋分、至は冬至・夏至、啓は立春・立夏、閉は立秋・立冬にあたります (早稲田大学
)。
- 秦代の『呂氏春秋』や漢代の『礼記』月令には、蟄蟲始振、立春、始雨水、日夜分、立夏、小暑至、日長至、白露降、立秋、日夜分、霜始降、立冬、日短至といった名称が出てきます (早稲田大学
11&12、早稲田大学
)。
中国での変遷†
- 二十四節気の名称・順序は、前漢の『淮南子』天文訓で概ねそろっています (早稲田大学
)。
- 現在使われている二十四節気の名称・順序は日本も中国もほぼ同様ですが、二月節のみ、日本では啓蟄、中国では驚蟄という違いがあります。
- 『困学紀聞』には、『夏小正』の正月啓蟄や『礼記』月令孟春の蟄蟲始振を紹介しつつ、景帝(漢帝劉啓)の諱を避けるため啓を驚に改めた、と書かれています (国立公文書館
, p.75)。また、『春秋左氏伝』桓公五年の記事には「凡祀啓蟄而郊」とあり、啓蟄は夏正で建寅の月と注されています (早稲田大学
)。
- 『淮南子』は景帝の子である武帝の時代に成立し、驚蟄が使われています。ただし、雷驚蟄であり、現在と同じ二月節になっています (早稲田大学
)。
- 正史に詳細な記録が残る暦の中では、最も古い太初暦(三統暦)から既に登場しています。
- 後漢四分暦で、現在中国で用いられているものと同じ名称・順序になりました。
- 以後はこれが踏襲され、例外は大業暦で驚蟄が啓蟄に、戊寅暦や麟徳暦(儀鳳暦)で正月中が啓蟄、二月節が雨水になっているくらいです。
- 大衍暦以降はふたたび現在と同じ名称・順序になっています。
日本での変遷†
- 宣明暦までの仮名暦は、一部を除いて○月せつや○月中と記載されるのみでした。したがって、名称は具注暦で確認する必要があります。
- 正倉院の具注暦は儀鳳暦によるもので、正月中に啓蟄が使われています*1。
- 御堂関白記は宣明暦によるもので、二月節に驚蟄が使われています (国立国会図書館
)。
- 貞享暦以降は仮名暦にも二十四節気の名称が記載されるようになりました。
関連ページ†
Last-modified: 2025-12-26 (金) 10:43:57