暦Wiki
月の日数†
- Martius、Maius、Quintilis、Octoberは、ロムルス暦において31日とされた月です。
- 残りの6か月はすべて30日で、合計304日=8日/週×38週とされていました。
IanuariusとFebruarius†
- ヌマ暦ではロムルス暦にIanuariusとFebruariusを加えて、12か月となりました。
- 日数の問題
- 31日の月はそのまま残され、30日の月から1日減らしました。
- IanuariusとFebruariusを両方28日とすれば合計日数が354日となり、太陰暦の1年に近づきます。
- しかし、なぜかIanuariusを29日、合計を355日とし、1日多くしてしまいました。
- これはローマ人が奇数を完全・幸福の数として好み、偶数を不幸の数として嫌ったからともいわれています。
- 唯一の例外としてFebruariusは28日と偶数ですが、この月は祓いや清めの月であり、不幸でもよいとされたようです。
- Februarius以外はイドゥスからカレンデまでの日数が一緒 (16日=2週間) となり、逆向きに日付を数えるのに都合がよくなったといえます。
- 順序の問題
- どこに加えたかについては、両方年末に挿入した、両方年初に挿入した、Ianuariusは年初にFebruariusは年末に挿入した、などさまざまな説があります。
- 年末に加えられたとすると、どこかで順序が変わっているはずですが、いつ・誰によるものかにもさまざまな説があり、はっきりしません。
- しかし、執政官が執務を始めるのがMartiusのイドゥスであったこともあり、1年はMartiusに始まり、Februariusに終わるという考えは根強く残ったようです。
#当時は年を執政官の名前で記録していました。
- IanuariusとFebruariusが年初になったことで、Quintilis以降は2つずつずれました。
うるう月とその混乱†
- ヌマ暦では、うるう月 (mensis intercalaris) により、太陽年とのずれを調整します。
- 調整は当時年末と考えられていたFebruariusで行ないます。
- 具体的には、通常28日のFebruariusを2年に1回23日か24日とし、その翌日から27日のうるう月を挿入します。
- 1年の日数は前者だと377日、後者だと378日となります。
- 合計の日数355日やうるう月があることから、太陰太陽暦のようにも思えますが、
- 平均日数は (355+377+355+378)÷4=366.25日と、1日多くなっています。
- 23日では月の満ち欠けは一巡しませんし、そもそも31日や28日の月があり、月の満ち欠けにあわせたこよみとはいえません。
- うるう月の挿入や長さの決定は大神官 (Pontifex Maximus) の仕事でしたが、正しく挿入されず、こよみと季節が大きくずれる事態となりました。
- 月の満ち欠けを頼りにできず、2年に1回機械的に挿入するしかない。
- 仮に機械的に実施しても、そもそも平均的に1日多い。
- 政治的・経済的な理由で意図的に調整?
- 戦争で忙しくて忘れた?
- ローマの英雄ユリウス・カエサルは、紀元前45年より太陽暦であるユリウス暦を導入しました。
- 日数の問題
- ユリウス暦は太陽暦ですので、合計日数を365日にするためには、ヌマ暦に10日加える必要があります。
- 古代ローマでは日付を逆向きに数えます。このため、月末に1日加えると行事の日付がずれてしまい、混乱を招きます。
- 日付の変更が少なくてすむよう、31日の月はそのまま、29日の月 (7つ) に10日を割り振りました。
- 新たに31日となった月もノネやイドゥスはそれぞれ5日、13日のまま変更しませんでした。
- Februariusは年末と考えられ、宗教的意味合いの強い祭礼が多いこともあり、日数は変えませんでした。
- 年初の問題
- 既に紀元前153年、スペインで起きた反乱に対処するため、執政官の執務開始をIanuariusの1日に変更していました。ユリウス暦でもこれを年初としています。
- また、祭日と季節の関係が大きくずれているのを是正するべく、カエサルは紀元前46年を1年=445日にわたる大混乱の年にして調整を行ないました。
- この結果、現在のように冬至近くに1月1日が置かれるようになりました。
うるう年の取り扱い†
- ユリウス暦では通常は365日、4年に1回1日加えて366日とします。
- 平均日数は (365+365+365+366)÷4=365.25日となります。
- うるう年はやはりFebruariusで調整します。
- ヌマ暦のうるう月挿入法にならい、月末ではなく2月24日を繰り返す形で1日加えます (a.d. bis VI Kal. Mart.)。
- ここからbissextile year=うるう年という言葉が誕生しました。
うるう年挿入の失敗†
- ユリウス暦導入後まもなくカエサルは暗殺されてしまいます。すると、うるう年を4年に1回でなく3年に1回挿入するという事態が発生しました。
- 0を知らない古代ローマでは、「4年おき」が「3年おき」になっても不思議ではありません。
- 365+365+366=8×137であり、1週間=8日というサイクルにマッチします。
- 3年おきの状態が36年続くと、うるう年は9回ではなく12回入ることになり、3回多い=3日ずれることになります。
- しかし、具体的にどの年がうるう年であったかについては、はっきりとしておりません。
- うるう年を正しく挿入したと仮定して逆算すると、紀元前41年、37年、33年、29年、25年、21年、17年、13年、9年、5年、1年、紀元4年、8年、12年、・・・がうるう年になるはずです。
- 一般的な説では、紀元前42年、39年、36年、33年、30年、27年、24年、21年、18年、15年、12年、9年、紀元8年、12年、・・・がうるう年といわれています。つまり、紀元前9年までが3年おきで、紀元前5年・紀元前1年・紀元4年をとばしたということになります。トピックス「1月1日あれこれ」もそれにもとづいて書かれています。
- しかし、文献や発掘品のなかにはこれと矛盾するものもあり、異なる説を主張する研究者もいます。
- また、紀元前45年=ユリウス暦の導入年自体がうるう年だったかどうかも定かではありません。
- ユリウス日などのプログラムでは、歴史的事実に関わらず機械的にユリウス暦のルールを適用して日付を表現しています。
- この間違いを正したのが皇帝アウグストゥスです。
- なお、これに関連した下記のような話がありますが、これは13世紀の英国人Sacro Boscoが著書"De anni ratione"で述べた、何の裏づけもない説に過ぎないようです*1。
- ユリウス暦の改革で、奇数月を31日、偶数月を30日 (2月は平年29日、うるう年30日) に変更した。
- SextilisをAugustusに改称する際、カエサルの名前のついたIuliusと同じ長さにするため、Februariusから1日奪った。
- 参考)古代ローマの季節、古代エジプトの天体暦
月名 | ノネ | イドゥス | ロムルス暦 | ヌマ暦 | ユリウス暦 |
1月 | Ianuarius | 5 | 13 | | 29 | 31 |
2月 | Februarius | 5 | 13 | | 28 | 28 (29) |
3月 | Martius | 7 | 15 | 31 | 31 | 31 |
4月 | Aprilis | 5 | 13 | 30 | 29 | 30 |
5月 | Maius | 7 | 15 | 31 | 31 | 31 |
6月 | Iunius | 5 | 13 | 30 | 29 | 30 |
7月 | Quintilis (Iulius) | 7 | 15 | 31 | 31 | 31 |
8月 | Sextilis (Augustus) | 5 | 13 | 30 | 29 | 31 |
9月 | September | 5 | 13 | 30 | 29 | 30 |
10月 | October | 7 | 15 | 31 | 31 | 31 |
11月 | November | 5 | 13 | 30 | 29 | 30 |
12月 | December | 5 | 13 | 30 | 29 | 31 |
合計 | | | | 304 | 355 | 365 |
(うるう) | | | | | (377, 378) | (366) |
関連ページ†
Lamont, R., The Roman Calendar and its Reformation by Julius Caesar, Popular Astronomy, 27 (1919).->
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Last-modified: 2016-03-15 (火) 15:41:46