貴重資料展示室
第15回常設展示:1996年2月28日〜1996年10月19日
貞享暦と授時暦
貞享暦法は渋川春海によって考案された初めての日本の暦法であり、貞享二年(1685)から施行された。それまで用いられていた宣明暦法は中国から渡来し、貞観四年(862)に施行されたものである。江戸中期、暦学の研究が盛んになると、800有余年も使い続けた宣明暦への批判が高まり、中国暦法の最高峰とされる元朝の授時暦法を研究するものも現れた。和算家として著明な関孝和もその一人である。
春海は初め授時暦法の採用を提案したが、授時暦法では予測できなかった日食を宣明暦法で予測できたことにより、断念することになった。春海は研究を重ね、西洋天文学を採り入れた游子六の『天経或問』により、近日点の移動を知った。授時暦が作られた13世紀ごろは冬至と近日点はほぼ一致していたが、400年後には約6度ほど離れている。この近日点の移動と、中国と日本の経度差 (里差) を加えて再度、「大和暦」として上申し、採用された。
授時暦法は、元の郭守敬 (1231-1316) 等によって1280年に完成し、翌年から元朝で採用された。その後、約400年間に渡って使われている。郭守敬は器機に精通し、精密な観測により授時暦法の精度をあげた。1回帰年の長さをグレゴリオ暦と同じ365.2425日としている。
『貞享暦』 渋川春海著 7巻7冊