暦Wiki
旧暦併記をめぐる議論†
太陽暦の導入†
旧暦併記をめぐって†
- 明治06年03月12日 頒暦規則 (国立国会図書館 )
- 明治06年05月30日 干支は便利だから掲載 (国立国会図書館 )
- 明治06年10月05日 結局、明治7年暦も併記 (国立国会図書館 )
- 頒行直前だったため、急遽最下欄に太陰暦を追加。
- 明治8年暦は明治6年暦と同様に太陰暦+干支の体裁に戻る (ただし干支は漢字に変更)。
- 明治08年04月22日 明治9年暦も併記 (国立公文書館 )
- 2月10日 文部省
- いまだに太陽暦が民間に浸透しない。併記をやめれば太陽暦の利便性が理解され、使われるようになるはず。
- 四季の区分が1月・立春・春分 (3月) とバラバラ。二至二分を基点として定めたい。
- 農民の混乱が予想されるが、従来の彼岸や二至二分などを比較表にまとめて巻末につければよい。
#明治9年暦の草稿 (国立公文書館 ) によれば、二十四節気の名称も十二宮初度・中度に変更するつもりだったようです。
- 2月15日 左院
- 各地の習慣は太陰暦によるものも多い。急に移すと人民が戸惑い、害がないとはいえない。
- 3月25日 内務省
- 太陽暦が優れているのは明白だが、人民は良さが理解できない、文字が読めるのも1000人に数人程度。太陰暦合刻ですら不便を訴える始末。
- 農耕の時期や潮汐を記載した暦のようなものを別途作る地方官吏もいるほど。
- 太陰暦記載をやめると農業や漁業の時節がわからなくなり、ますます混乱する。
- もう少し待って、人智開明の程度を量ってからでも遅くはない。
- 3月31日 左院
- 文部省の道理よりも、内務省の言う方が切実。合刻をやめて比較表をつけるだけではまだ啓蒙は不十分、必ず弊害が出る。
- 明治09年11月21日 明治11年暦も併記 (国立公文書館 )
- 10月20日 内務省 (明治09年02月24日 編暦事務は内務省へ)
- 太陽暦採用から4年経過したが、いまだに陰暦や旧慣習に固執するものが多く、太陽暦を用いるものが少ない。
- 陰暦と陽暦両方で祝祭日を祝う地方もあり、仕事をサボって経費を無駄遣いするなど、弊害が多い。
- 陰暦を併記するから使ってよいと勘違いする。このままでは何年たっても状況が変わらない。
- 農耕に必要な二十四節気・土用・社日・彼岸・八十八夜・入梅・半夏生・二百十日は掲載しているし (国立公文書館 )、両暦対照表 (500-1000 、1001-1500 、1501-1871 、いずれも国立国会図書館) も発行した。
- 11月13日 法制局
- 急に陰暦を禁止しては不便。祝祭日の件は陰暦掲載だけの問題ではない。しばらくはこのままで。
- 明治13年暦での改訂
- 明治20年暦
- 明治22年 両暦使用取調書
- 新暦正月を祝うか、旧暦正月を祝うか、両方祝うかを調査。部落ごとにバラバラな状態が判明。
- 旧暦を使い続ける理由
- 新暦正月は多忙な時期 (麦蒔き、糖の精製、綿の収穫、まきの伐採など) だから祝う暇がない
- 米の収穫から日が浅く、まだ納め終わらない
- 商取引も完了していない
- 新暦正月は雪が多いから
- 漁業には潮の干満が必須だから
- 単に慣習だから
- 暦に載っているから
旧暦併記の廃止†
- 明治41年 陽暦励行に関する建議
- 明治41年03月17日 陽暦励行に関する建議案委員会 (国立国会図書館 )
- 明治41年03月19日 衆議院であっさり可決 (国立国会図書館 )
- 明治41年09月30日 文部省告示第235号 (国立国会図書館 )
関連ページ†
Last-modified: 2016-04-06 (水) 17:44:16