暦Wiki
中国の暦†
古暦法の時代†
- 明確な資料は残っておりませんが、二十八宿・章法・二十四節気など暦に必要な要素が、長い時間をかけて少しずつ整備されていったものと考えられます。
漢の時代†
- これ以後、暦法の詳細が正史に記載されるようになります。
- 前漢:太初暦/三統暦
- 現在とは少し名称や順序が異なりますが、二十四節気の名称がすべて出揃いました。
- 後漢:後漢四分暦
三国時代〜南北朝時代†
- 王朝の正当性を示すため、蜀は漢の暦を継承、他は改暦を実施します。
- 三国を統一した晋は名称こそ秦始暦に変更したものの魏の景初暦を踏襲しました。
- 五胡十六国
- 南朝
- 宋:永初暦→元嘉暦
- 東晋を継承した宋は名称こそ永初暦に変更したものの晋の秦始暦=魏の景初暦を踏襲しました。
- 元嘉暦の何承天は定朔を提案しました。
- 斉:建元暦
- 斉は名称こそ建元暦に変更したものの宋の元嘉暦を踏襲しました。
- 梁:建元暦→大明暦
- 北朝
- 北魏:景初暦→玄始暦(北涼を滅ぼす)→正光暦→東魏/西魏に分裂
- 北涼平定後、北涼の玄始暦を採用すると、以後破章法が北朝暦の伝統となりました。
- このころから、王朝の交代に限らず改暦が頻繁に行なわれるようになります。
- 西魏:正光暦→北周:天和暦→大象暦
- 東魏:正光暦→興和暦→北斉:天保暦
隋・唐の時代†
宋の時代†
- 五代十国時代
- 北宋〜南宋
- 遼:調元暦(後晋を滅ぼす)→大明暦
- 遼史巻四十二 志第十二 暦象志上には祖沖之の大明暦が載っていますが、おそらくこれとは別物と思われます。
- 金:大明暦→重修大明暦
元・明の時代†
- 元:重修大明暦→授時暦
- 授時暦は中国暦法の最高峰といわれ、内容的にほぼ同じ大統暦も含めてもっとも長い期間使われた暦法でした。
- 回々司天台が設立され、回々暦というイスラム暦も作られました。しかし、郭守敬の観測機器を除けば、イスラム天文学は授時暦にほとんど影響を与えていないようです。
- 明:大統暦
- 洪武元年(1368)より、一世一元の制を導入。
- 明末に中国へ渡来したイエズス会=耶蘇会宣教師の利瑪竇 (マテオ・リッチ) は、ヨーロッパの進んだ科学知識を活用することでキリスト教の布教に成功しました*1。
- とくに天文学の知識が必要とされたため、利瑪竇の要請により天文学に精通した宣教師が多数渡来、西洋天文学などを伝えました。
- 彼らは徐光啓や李之藻といった実力者の支持を得て勢力を伸ばすとともに、多くの漢訳書を著し、後の日本にも大きな影響を与えることになります。
- 西洋天文学による改暦を目指すべく、湯若望 (アダム・シャール) らにより『崇禎暦書』が編纂されますが、徐光啓の死去により明代での改暦は立ち消えとなります。
清の時代†
太陽暦の時代†
関連ページ†
Last-modified: 2024-10-09 (水) 23:09:45