暦Wiki
渋川春海†
- 日本独自の暦:貞享暦 (大和暦)
- 宣明暦までは中国の暦法をそのまま使用しており、春海も当初は中国暦法最高といわれる授時暦による改暦を提案しましたが、延宝三年(1675)5月の日食予報に失敗、その原因を分析し、日本にあわせた独自の改良を加えました。
- これにより編暦の実権は朝廷から幕府に移り、春海は初代天文方に任命されました。
- 過去に遡って暦を復元し、長暦にまとめました。
- 日、月、5惑星 (七曜) の位置を記した七曜暦を復活させました。現在の暦象年表にあたるものです。
- 雑節を整理、七十二候を日本にあわせて改訂しました。
- 紙張子製の地球儀は重要文化財にもなっています (国立科学博物館 )。
- イエズス会宣教師の利瑪竇が作成した坤輿萬國全圖を参考にしており、現存するものとしては最古だそうです。
- 渾天儀などを用い、自ら天体の存在や位置を確かめました。
- 従来の渾天儀から観測に不要な三辰儀を取り払って簡略化、実用的でシンプルな渾天儀を製作しました (日光東照宮に現存 )。
- 天象列次之図や天文分野之図を作ったころはほぼ中国星図の模倣でしたが、授時暦の観測値を用いたり、日本の地名を分野にあてはめたりなどの改訂を施しています。
- 貞享改暦後には本格的に星座観測に乗り出します。中国星図の星の位置を正し、そこにない星から新たに大宰府・陰陽寮など61星座を選定し、天文瓊統や息子の昔尹の名で刊行した天文成象などで紹介しています。
- 新星座を加えた紙張子製の天球儀は重要文化財にもなっています (国立科学博物館 )。
- 当初は麻布の私邸で観測していましたが、天文方任命後の元禄二年(1689)には本所二ツ目先、のち元禄十六年(1703)には駿河台の地を与えられました*1。これらが江戸時代の天文台の起こりと言えます。
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Last-modified: 2023-10-11 (水) 00:33:15