暦Wiki
雑節とは?†
- 季節を分けるものですので本来は立春・立夏・立秋・立冬の前日を指しますが、現在では立春の前日 (2月3日ごろ) だけが残っています。
- 江戸時代の暦を見ても、立春の前日しか載っていません。
- 貞享改暦後初の暦となる貞享二年暦では正月朔日が立春となっていました。
- 通常はその前日が節分となるわけですが、前年は宣明暦にもとづいて推算されているため2日のずれがあり、節分となっていませんでした。
- このため、貞享二年暦には「貞享元年きのえね 十二月大卅日 せつふん」という注意書きが掲載されています (国立国会図書館 )。
- 古事類苑によれば、伊勢集、源氏物語、中右記、栄花物語、すなわち平安時代にはまだ使われていたことがわかります (国立国会図書館 )。
- 平安時代のかな表記では「せちぶん」や「せちぶ」が使われているようです。
- 中右記の保安元年四月朔日「夏節分」は立夏の前日、七月四日「秋節分」は立秋の前日、十月八日「冬節期」は立冬にあたります。
- 栄花物語の万寿二年七月三日は「あきの節分」前日にあたります。
- 立春は太陰太陽暦の正月に近く、年の変わり目の意味合いが強いからでしょう。
- 豆まきなどの習慣でおなじみですね。
- ただし、こちらは中国にルーツを持つ追儺(ついな、おにやらい)という儀式から派生したもののようです (国立国会図書館 )。
- 長らく2月3日が続きましたが、2021年からは2月2日も登場します。
- 季節に五行説をあてはめようとすると、どうしても1つ足りません。
- 春=木、夏=火、秋=金、冬=水のようにすると、「土」が余ります。
- 「土」にあたる季節を作るため、各季節から終りの1/5ずつ集めて土用としました。
- 平気法の場合、没日を数えないと1年は360日。各季節は360÷4=90日、土用はその1/5で90÷5=18日です。
- 季節は4つあるので土用は合計18×4=72日、ほかの季節も90−18=72日とすべて等しくなります。
- 現在では土用の入りは太陽黄経が297°、27°、117°、207°となる日として定義されます。土用の明けは立春・立夏・立秋・立冬の前の日です。
土用 | 太陽黄経 | 月日 |
冬 | 297° | 1月17日ごろ |
春 | 27° | 4月17日ごろ |
夏 | 117° | 7月19日ごろ |
秋 | 207° | 10月20日ごろ |
- 太陽の黄経で二十四節気を定めるのと同じような考え方です。
- 1年は360°、各季節は360÷4=90°、土用はその1/5で90÷5=18°。これで土用の合計は18×4=72°、ほかの季節も90−18=72°とすべて等しくなります。
- それぞれの太陽黄経は立春(315°)・立夏(45°)・立秋(135°)・立冬(225°)の18°前ですから、297°、27°、117°、207°となるわけです。
- この方法では17日、18日、19日の範囲で土用の日数が変動します。
- このように土用を太陽黄経で決めるようになったのは明治二年暦からです。
- 天保暦では、二十四節気については定気法に変わりましたが、土用については定気法で定めた小寒・清明・小暑・寒露に、平気法と同じように1年の長さ÷30を加えるという、両者を混在させたやり方が採られていました (新法暦書 p.17)。
- 現在では春分の日、秋分の日の前後3日間、合計7日間を指します。
- 初日を彼岸の入り(はじめ)、真ん中(春秋分)を中日、終りを明け(おわり、はて)といいます。
- 彼岸の中日=春・秋分となったのは、春・秋分を太陽の黄経で決定する (定気法) ようになった天保暦以後のことです。
- 天保暦より前の時代には、単純に1年の日数を時間で24等分して二十四節気を決めていました (平気法) から、江戸時代の定義でも春・秋分で昼夜等分にはならず、2日くらいずれていました。
- 貞享暦までは単に春・秋分の翌々日を彼岸の入りとしていました。
- 宣明暦では没日を除いて数えます。
- 渋川春海は、貞享二年暦では仏教由来の暦注である彼岸を載せませんでしたが、翌貞享三年暦から載せるようになりました。
- 彼岸の中日を昼夜等分の日になるようにしたのは宝暦暦です。
- 具体的には、彼岸の中日を春分の前々日、秋分の翌々日としました。
暦法 | | | | | | 春秋分 | | | | | | | | |
宣明暦・貞享暦 | | | | | | | | 入り | | | 中日 | | | 明け |
宝暦暦・寛政暦 | 入り | | | 中日 | | (春分) | 明け | | | | | | | |
| | | | 入り | (秋分) | | 中日 | | | 明け | | | |
天保暦・現在 | | | 入り | | | 中日 | | | 明け | | | | | |
八十八夜†
- 立春から数えて88日目、5月2日ごろ。「八十八夜の別れ霜」のように、霜の季節の終り、晩霜への注意を告げます。
- 「夏も近づく八十八夜」で有名ですね。
- 日本独自の暦注で、渋川春海は貞享改暦の際に一度削除しましたが、伊勢の船長の訴えを採り入れて復活させました。
二百十日†
- 立春から数えて210日目、9月1日ごろ。台風の近づく季節です。
- 日本独自の暦注で、渋川春海は貞享改暦の際に一度削除しましたが、伊勢の船長の訴えを採り入れて復活させました。
- 二百二十日を雑節に加える方もいるようです。
- いずれにせよ、立春から数えて210〜220日目ごろは稲の花盛りなので台風に気をつけましょうという意味であり、その日だけ気をつけていればよいというものではありません (永暦雑書天文大成綱目 p.27)。
- もとは5月節(芒種)に入って最初の壬の日でしたが、明治9年暦からは太陽黄経80°に変更されました(6月11日ごろ)。
- 梅雨(五月雨)に入る季節です。
半夏生†
- 七十二候のひとつで、半夏という薬草が生ずるころ。田植えの季節の終りを告げます。
- 現代では太陽黄経100°で定義されます(7月2日ごろ)。
- 通常七十二候は具注暦に記載されるのみですが、これだけは仮名暦にも「はんけしやう」のように記載されています。
- 社日とは春分・秋分にもっとも近い戊の日を指します。
- 春の社日は春社、秋の社日は秋社と呼ばれ、春は五穀豊穣を祈り、秋は収穫への感謝を込めて土地の神を祭るという意味合いになります。
- 春分または秋分の前後にある戊の日がどちらも春秋分から5日ずつ離れていることもあります。
- 前後どちらをとるかはっきりしないため、宣明暦時代は混乱も見られます。
- 貞享暦から明治7年暦までは前をとることになりました。
- 明治14年暦以後は、春分・秋分が午前中ならば前を、午後ならば後をとるようになりました。社日.pdf
- その間のいつ変更したのかは不明です。時期的には入梅の定義変更と関連するかもしれません。
- 2つの定義では、20年に2回ほどの違いが生じます。
- 本暦の雑節には含まれていますが、暦象年表や暦要項の雑節に含まれていません。
- 理由ははっきりしませんが、タイミングとしては暦象年表の誕生時点からですので、神を祭る行事を避けたということかもしれません。
関連ページ†
Last-modified: 2024-05-31 (金) 20:34:40